《 世界のワクワク住宅 》Vol.032

伝統的なビールづくりの建物にインスパイアされたモダンな住宅<オーストハウス>〜ケント州(イングランド)〜

投稿日:2020年7月16日 更新日:

なだらかな起伏の土地にりんご畑が広がっている。芳醇な香りと柔らかな風——ロンドンの南東にあるケント州を象徴する豊かな田園風景。ここに突如、不思議な住宅が現れる。複数の円錐形の建物が一つの塊となって立っているのだ。塔のような建物のてっぺんには少し傾斜がある。(帽子を目深に被った泥棒たちを描いた絵本、『すてきな三人組』を思い出すのは私だけ? なんだか、かわいい)。

©︎Jim Stephenson

モザイクのようなタイルの外壁に、いくつもの四角い窓。この独特なデザイン、いったいどこから着想を得ているのだろう。

©︎Jim Stephenson

実はこれ、ここケント州土着の「オーストハウス」の概念を採用し設計された家なのだ。
オーストハウスとは、かつてビールの醸造過程で使われた伝統的な建物。収穫後のホップを乾燥させる窯(=オースト)があり、その熱を上昇させるための高い塔が特徴的だ。ホップの栽培に適した肥沃な土地に恵まれたケント州で生まれたこのオーストハウスは、主にイングランド南東部でしか見られない非常にユニークな建物なのだ。

オーストを使ったホップの乾燥法は17世紀頃に始まったとされるが、現代に入るとホップは工場で温風乾燥されることが主流となった。結果、多くのオーストハウスがその役目を終えることとなったが、今でもケントの田舎町を訪ねると、当時のままの煉瓦造りの塔が点在する独特な風景が見られるそうだ。

オーストの内部はホップを広げる格子状の層で仕切られ、窯からの熱が上へと通りやすいように作られていた。煙突のように堅牢でありながらほぼ空洞な造りのため、今では古いオーストハウスは住居、パブ、レストランなどさまざまな形に改築されている。

こうしたリフォームが多く手掛けられるなか、先ごろ、ロンドンの建築事務所ACMEがオーストハウスの原型を留めつつ、まったく新しい現代的な住宅を建設したことが話題となった。

©︎Jim Stephenson

施主は、10年ほど前にケントに移り住んだある家族。円形の空間の親密性がことのほか好きということで、当初は現存するオーストハウスの購入を検討していた。そこでACMEがオーストハウスのデザインを取り入れた新築の家を提案したところ、快諾してくれたと言う。

まずは基本構造を見てみよう。 この家は伝統的なオーストの塔状比を踏襲している5つの塔からなるが、従来の形とは異なり、それぞれがくっつかないように建てられている。外側の4本のオースト(直径4.9メートル)が、中心にある幅広のオースト(直径6.6メートル)に対し4点で接続されている。そうすることによって居住者の視界と動線が内側と外側、すなわち居住スペースと周囲の庭の両方に開けるようにしている。こうして本来居住を目的としていないものを、風通しのいい「家」として機能できるようにしたのだ。

ケントのような農村地帯に現代的な住宅を建てる際には、当然景観を阻害しないような配慮が必要である。イングランドでは国家都市計画政策というものがあるが、その中でも農村地帯の住宅建設に対しては厳しい制約がある。例外的に「極めて優れたデザインの家であれば建設可能」と記されているが、提案されるプランの約半数は承認が下りないと言われている。こうした地域で新デザインを実現するのがいかに難しいかがわかる。

ACMEは、この家の外壁に永らくケント地方に伝わるテラコッタ製のタイルを選んだ。建物の下部の濃い赤や茶から塔の先の淡いオレンジやグレーへとグラデーションを施すことによって、オーストが空に溶け込むような視覚効果を狙っている。
全体で4万枚以上のタイルが使われているが、先細になる塔に滑らかにタイルを貼っていく作業は非常に難しく、地元の技術者の力を借りて完成させたそうだ。

©︎Jim Stephenson

では、中に入ってみよう。
周囲4つのオーストの1階部分にはそれぞれリビング、キッチン、スタディルームと、施主の母親の部屋が据えられている。 中央の大きいオーストは3階分の高さがあり、エントランスとダイニングスペースを兼ねる、いわば家の心臓部。

©︎Jim Stephenson

オーク材の大きな螺旋階段がドラマチックな吹き抜けを演出し、そこから周りのオーストの二階部分へとオープンな動線が敷かれている。

©︎Jim Stephenson

©︎Jim Stephenson

2階にあるのが各人の部屋と2つ目の居間。それらの部屋にはさらにそれぞれの塔へと上がる階段がある。つまり、1階は家族が集まる場所、2階は個人と共有スペース、3階は完全な個室。上に行くにつれオープンからプライベートへ、大きな空間から小さな空間へと移行する様が面白い。

©︎Jim Stephenson

©︎Jim Stephenson

3階は円錐の上部の内側に当たるので、さながらツリーハウスのような「巣ごもり」の感覚が得られると言う。天窓が大きく取られ、明るい光が部屋を満たす。「塔に住む」という感覚も、想像するとワクワクする!

©︎Jim Stephenson

施主の希望通り、室内には直角がほとんどなく、家具類もカーブされた形状のものを選んでいる。もともとケントではオーストハウスのリフォームが盛んであるため、円形の建物に合うような家具を専門に取り扱う会社もあるとか。

©︎Jim Stephenson

中央オーストのコンクリート床スラブは地中熱ヒートポンプで温められている。オーストの形状を考えれば、これはつまり家全体が「低燃焼の窯」のようなもので、自然と暖かさを保てるというわけだ。実際、2階まではこれ以上の暖房装置はまったく必要ないそう。そして伝統的なオーストと同様、温風は家の最端部のカウル(風を逃す覆い)から排出され、空気が循環する仕組みだ。

©︎Jim Stephenson

この土地にしか見られないオーストハウスという特殊な建物。時の流れの中で本来の目的は失われたものの、現存するものは新たな命を吹き込まれ、大切な遺産として現代に引き継がれてきた。 そしてACMEは、こうしたオーストハウスのリフォームからさらに一歩踏み込み、ケントの誇りを守りながら現代的なオーストハウスを創造するという挑戦に挑んだ。それが単なる懐古主義でないことは、この家を見れば一目瞭然であろう。

写真/All sources and images courtesy of ACME

取材・文責/text by: 河野晴子/Haruko Kohno

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河野 晴子(こうの・はるこ)

キュレーターを経て、現在は美術を専門とする翻訳家、ライター。国内外の美術書、展覧会カタログの翻訳と編集に携わる。主な訳書・訳文に『ジャン=ミシェル・バスキア ザ・ノートブックス』(フジテレビジョン/ブルーシープ、2019年)、『バスキアイズムズ』(美術出版社、2019年)、エイドリアン・ジョージ『ザ・キュレーターズ・ハンドブック』(フィルムアート社、2015年)、”From Postwar to Postmodern Art in Japan 1945-1989”(The Museum of Modern Art, New York、2012年)など。近年は、展覧会の音声ガイドの執筆も手がけている。

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