《 世界のワクワク住宅 》Vol.029

<画家たちの家>ヨーロッパ編  [1]クロード・モネの家~ジヴェルニー(フランス) [2]サルバドール・ダリの家~ポルト・リガト(スペイン)〜

投稿日:2020年4月16日 更新日:

家は安息の場所。とは、限らない。
たとえば、住居をアトリエとした芸術家にとってそれはさまざまな刺激を蓄え、作品を生み出す場所であり、喜び、苦しみ、情熱に満ちた空間だ。

《世界のワクワク住宅》では今月と来月にわたり、歴史に名を残した4人の画家の家々を巡ってみたい。
前編はヨーロッパ編。では、さっそく見て行こう。

庭にいるクロード・モネ ©︎Sacha Guitry (1913年)

まずは19世紀後半にヨーロッパで花開いた印象派の巨匠、クロード・モネ(1840-1926年)。
絵の具を素早くキャンバスに乗せ、光の印象を捉える画期的な技法で、睡蓮の池など戸外の風景を描いた画家をみなさんもよくご存知だろう。
パリ郊外ノルマンディー地方の小さな街ジヴェルニーにある邸宅は円熟期を迎えたモネが終の棲家とし、数々の名画を生み出した場所である。

1883年にモネが移り住んだこの二階建ての家は、この土地に伝わる典型的な農家の造り。当初は控えめな大きさだったが、モネの作品の評価が高まり生活が安定するにつれ左右に拡張され、最終的には40メートルの長さとなった。それでも奥行きは5メートルしかない。
私もここを訪れたことがあるが、見事なファサードと一歩足を踏み入れた時に感じる親密な生活空間との対比が興味深い家だ。

注目すべきは計算し尽くされた色の施し方。華やかなローズ色の外壁に、緑色の鎧戸や窓枠。そこに季節の花々や蔦が相まって、まさに画家のパレットを思わせる豊かな色合いが印象的だ。

モネの部屋

各部屋は色調が統一され、当時のままの家具が置かれていることから、モネと後妻のアリス、そして8人の子供たちとの賑やかな生活が伺える。

ダイニングルーム

中でも黄色一色のダイニングルームは一際明るく、ため息が出るほど美しい。この黄色はモネがこだわり抜いて選んだもので、微妙な色合いを塗装業者に指示するメモも残っているそう。

目を転じれば、モネの作品に大きな影響を与えた日本の浮世絵が壁いっぱいに掲げられている。19世紀中頃、パリの万国博覧会で出品されたのをきっかけに日本美術が注目され、「ジャポニズム」の潮流がヨーロッパを席巻したが、モネもそのただ中に身を置いていた。
北斎や広重を含むこれらの浮世絵は彼自身が収集したもので、その色彩や構図を参考にしていたことがわかっているが、この和洋折衷なダイニングのインテリアは日本美術が西洋の世界に新風を吹き込んだ様子をそのまま伝えるかのようである。

キッチン ©︎ARTLYS

この黄色と鮮やかに対比するのが、同じく一階にあるブルーのキッチン。ルーアン焼きの装飾タイルが貼られ、並べられた銅鍋が美しい色のコントラストを見せている。石炭と薪のストーブは一年中家を暖かく保つためにも使用されたそう。

居間とアトリエ

一階のアトリエ部屋はモネが1899年まで実際に絵を描いていた場所で、のちに居間として使われた。画家が自身の制作の変遷を確認できるよう壁に作品を並べていた様子が見える。

そして家の外に広がるのが、庭師の助言を受けながらモネ自身が丹精こめて育てた花々が咲き誇る見事な庭。
モネはこんな言葉を残している。
「私の庭は、愛情をかけながらゆっくりと作り上げられる一つの作品だ」。[注1]

ここに移り住んだ10年後、モネは土地を買い足し、晩年には近くを流れるエプト川の水を引き込む大掛かりな池の拡張工事までしている。藤棚と太鼓橋を設け、竹、柳、芍薬など、日本を意識した植物が植えられた。

©︎ F. Didillon

モネは毎日この庭に立ち、移ろう光の中でたゆたう睡蓮の花や水面に映り込む木々をキャンバスに留めようと腐心した。そうして独自の画風を確立し、この庭を題材とした数々の名画を仕上げていったのだ。

©︎ F. Didillon

現在も美しく保たれているジヴェルニーの家と庭は、画家モネにとって絶えることのないインスピレーションの源泉であった。訪れる人々がここを「生きたキャンバス」と呼ぶ所以である。

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次は隣国スペインへ。
あの「溶けた時計の絵」は誰もが一度は目にしたことがあるだろう。ピンと跳ね上がった口ひげに、すべてを見通しているような大きな目。そんな不可思議な絵画と奇怪な風貌で知られるシュルレアリスムの画家、サルバドール・ダリ(1904―1989年)の家は、彼自身を体現したような毒気と遊び心に満ちた空間だ。

スペイン北東の小さな港町、ポルト・リガトにダリが移り住んだのは1930年。その前年に出会った10歳年上の人妻、ガラとの交際を父に反対された結果、二人がたどり着いたのがこの静かな手付かずの漁村であった。

ダリは手始めに、バラッカと呼ばれる質素な漁師の小屋を手に入れる。第二次世界大戦中はアメリカに移住したものの、終戦後ここに戻り、周囲の6棟の小屋も購入。増築を繰り返すことで、現在の入り組んだ構造の立派な邸宅へと進化させていく。のちに正式に妻となり、彼の芸術のミューズへと昇華したガラとともに、実に40年という歳月をかけて独自の美学が貫かれた摩訶不思議な城を築いていったのだ。

港から狭い石畳の小路をひたすら歩くと、海に面した白壁の家が現れる。屋根の上にあるのは・・・なんと、大きな卵。
卵は誕生や再生、宇宙や愛を象徴するものとしてダリの作品に頻繁に登場するモチーフ。それを邸宅の一番目立つところに掲げているのだ。

そして来訪者を最初に迎えるのは、立ち姿の白熊の剥製。ジャラジャラと首飾りをまとい、ライフルを携えているのだが、この奇天烈な物の組み合わせこそダリが牽引したシュルレアリスムの真髄である。夢や無意識の中でしか起こり得ない不条理な世界をいかに表すか、ダリは生涯をかけて追い求めたのだ。

このほかにも白鳥の剥製、唇の形をしたソファ、祭壇を思わせる豪奢なベッドなど、この家はダリの作品世界をそのまま現実に持ち込んだかのような刺激的なエレメントに満ちている。部屋の窓はどれ一つとして同じ形ではなく、それぞれから眺める港の風景をダリは多くの作品に描いている。

1982年、ガラがこの世を去るとダリは創作意欲をなくし、ポルト・リガトを離れてかつてガラに贈った郊外の古城に引きこもってしまう。奇才ダリにとってポルト・リガトの家は、ガラへの愛と創造のエネルギーに満ちた、芸術家としてもっとも輝かしい時代の象徴だったのかもしれない。

ダリはこんな言葉を残している。 「私はこの空、この海、この岩々から自分を分かつことができない。私は生涯、ポルト・リガトに縛られることだろう。なぜならここは、私の偽りのない真実とルーツのすべてを明らかにしてくれた場所だから」。[注2]

次回は「画家の家<アメリカ編>」として、アメリカ近代絵画を彩った二人の画家の家をご紹介する。

[注1]『モネの庭』ヴィヴィアン・ラッセル、西村書店、2005年、p.42
[注2]The Secret Life of Port Lligat, Salvador Dali House, A Film by David Pujol 抜粋動画より

クロード・モネの家

サルバドール・ダリの家

写真/All sources and images of Claude Monet’s House courtesy of the Fondation Claude Monet, Giverny
All sources and images of the Salvador Dalí House-Museum courtesy of the Fundació Gala-Salvador Dalí, Figueres, 2020

取材・文責/text by: 河野晴子/Haruko Kohno

  • この記事を書いた人

河野 晴子(こうの・はるこ)

キュレーターを経て、現在は美術を専門とする翻訳家、ライター。国内外の美術書、展覧会カタログの翻訳と編集に携わる。主な訳書・訳文に『ジャン=ミシェル・バスキア ザ・ノートブックス』(フジテレビジョン/ブルーシープ、2019年)、『バスキアイズムズ』(美術出版社、2019年)、エイドリアン・ジョージ『ザ・キュレーターズ・ハンドブック』(フィルムアート社、2015年)、”From Postwar to Postmodern Art in Japan 1945-1989”(The Museum of Modern Art, New York、2012年)など。近年は、展覧会の音声ガイドの執筆も手がけている。

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