《 世界のワクワク住宅 》Vol.030

<画家たちの家>アメリカ編  [1]エドワード・ホッパーの家 [2]ジャクソン・ポロックの家とスタジオ~ニューヨーク(アメリカ)〜

投稿日:2020年5月14日 更新日:

先月の「世界のワクワク住宅」Vol.029では、ヨーロッパにある二つの画家の家をご紹介した。今回は、<アメリカ編>として、アメリカの近代絵画の歴史を彩った二人の画家、エドワード・ホッパーとジャクソン・ポロックの家を巡ってみたい。

これらの家はいずれもニューヨーク郊外にあり、現在は彼らの画家としての歩みを肌で感じられる貴重な資料館として、米国国家歴史登録財に認定されている。
まずは20世紀のアメリカの具象絵画を代表する画家、エドワード・ホッパー(1882-1967年)の家へ。

劇場、レストラン、モーテルやガソリンスタンドといったアメリカ特有の都市や郊外の風景を描いたホッパー。夜の路地に煌々と明かりを灯す一軒のダイナーを描いた『ナイトホークス』は、日本でもよく知られた作品だろう。人気もまばらなニューヨークの食事処で各々の時間を過ごす客と店主の何気ない姿からは、大都会の倦怠感と孤独が伺える。
この絵が描かれた1943年は、大恐慌を経て停滞したアメリカ経済が未だ回復の途上にあった頃。新しい時代に向かおうとする喧騒と混乱のさなかで静かに内省する人々の姿を捉えたホッパーは、アメリカの現実を映し出す「アメリカン・シーン」の画家と呼ばれている。

ホッパーが育ったのはニューヨークのハドソン川の川岸にひらけた町、ナイアック。たくさんの造船所や工場があり、交通と貿易の要として栄えたこの町でホッパーの父は繊維店を経営していた。

一家が暮らした白い二階建ての家は、おおむねイギリス建築を原型とするクイーン・アン様式。寄棟屋根、玄関につながるポーチや出窓などを特徴とする外観は19世紀アメリカで人気があったスタイル。一方、一部の部屋の内装はフェデラル様式と呼ばれるもので、クラシックなマントルピースや幅広の床板など洗練されたデザインが特徴だ。

居間のタイル敷きのファイアプレースはホッパーが生まれた年に新たに誂えられたと言う。このように当時好まれた様式を折衷的に採り入れたホッパー宅は、極めてアメリカ的な家だと言えるのかもしれない。

今も変わらず寝室の窓からは、ハドソン川が見える。

読書やスケッチに耽ける物静かな少年であったホッパーは早くから絵の才覚を見せ、寝室の窓から見えるハドソン川や、港や船など水辺の絵を多く描いた。また、近くの湖でボートに乗ったり、山で家族とピクニックをしたりと、自然に満ち溢れたナイアックはホッパーに繰り返し立ち戻る原風景をいくつも与えたのだ。

もうひとつ、ホッパーの絵画に大きな影響を与えたのがナイアックの独特な光である。「ハドソン川の光」と呼ばれる水辺特有の明るい光は各部屋の窓からふんだんに射し込み、刻一刻と変化する光と影をホッパーは熱心に観察した。
「私はあの頃、家の壁を照らす太陽の光を描きたかったのだ」。のちにホッパーはこう回想している。ホッパーの作品を見渡すと、建物の側面に反射する陽射し、画面を斜めに割くような鋭角な影、街を照らす人工的な光など、明暗の交錯が多く描かれている。それが登場人物の心理描写と相まり、実に効果的にキャンバスに表れている。

ホッパー少年がハドソン川で見つけた、手紙の入ったガラス瓶。差出人はニューヨークから汽船で観光旅行をしていたカップル。ホッパーが彼らに手紙を書き、返信をもらったという、かわいらしい交流のエピソードが残っている。

高校を卒業後、ホッパーは電車でニューヨーク市内にある美術学校に通学するようになる。その後、勉学を深めるためパリに趣き、帰国後の1910年にはニューヨーク市内に居を構え、画家として大成していく。しかし定期的にこの実家を訪れ、生涯ナイアックとの繋がりは保ち続けたそう。
画家の没後にはこの家も廃れてしまうが、近隣住民やボランティアの手によって家の修復と保全がされた。今ではホッパーの画業をたどる資料館、また他のアーティストの作品を紹介する美術館として多くの来館者を迎えている。
物語性のある油彩画で20世紀初頭のアメリカの日常を伝えたホッパー。画家の原点を伝えるこの白い家は、今もハドソン川の光の中に佇んでいる。

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ポロックのスタジオの床。©︎Weber Visuals

次にご紹介するのは、ホッパーの30年後に生まれた抽象絵画の旗手、ジャクソン・ポロック(1912―1956年)。床にキャンバスを平置きし、上から絵の具を垂れ流すという、それまでの絵画の概念を大きく覆す画風で新しい時代を切り開いた画家である。

家の二階の窓から望むアッカボナック・クリーク(小川)と塩沼。ポロックがここで描いた最初のシリーズには、この小川の名称がつけられている。

ポロックが妻で画家のリー・クラズナーとマンハッタンから郊外のイースト・ハンプトンに移り住んだのは、1945年のこと。大戦後、パリに代わってアートの中心となったニューヨークで既に画家として注目され始めていたポロックだったが、アルコール依存症を患い、精神的に不安定だった。クラズナーがそんな夫を気遣って田舎暮らしを提案し、二人はアッカボナック・クリーク(小川)沿いの1.5エーカーの敷地にある中古の木造の家と納屋を手に入れる。

ポロック・クラズナーハウスとスタディ・センター、イースト・ハンプトン ©︎Weber Visuals

1879年に建てられたこの家がポロックとクラズナーの住居となった。

居間には夫妻の家具や工芸品が飾られている。壁に飾られているのは、クラズナーによるリトグラフ。 ©︎Helen A. Harrison

当時の金額で$5,000。二人には高額だったが、$2,000の頭金をアートコレクターのペギー・グッゲンハイム(彼女はグッゲンハイム美術館創立者の姪である)が支払った。夫妻はこの家と納屋を修繕しながら、新しい暮らしを築いていく。

夫妻のスタジオとなった納屋

「最初はなんていうか、地獄でした。燃料も温水も風呂場もなく、厳しかったですよ」[注1]と、のちにクラズナーは回想している。しかし彼女は居間の一角で制作をし、ポロックは家の二階の寝室をスタジオ代わりにした。その後、水辺が望める場所に納屋を丸ごと移動し、床板を敷き、北側に大きな窓を誂え、ポロックはここで制作に専念するようになった。

ポロックが1946-1956年まで作品を制作したスタジオ。彼の死後、クラズナーが使用した。彼らの写真と画材が飾られている。

その後約10年の間、ポロックはこの納屋のスタジオで優れた作品を生み出していく。現実を再現するのではなく、画家の内面や描く行為そのものを留めようと、キャンバスに絵の具を直接滴らせる「ドリッピング」や、流し込む「ポーリング」、棒やパレットナイフを使う独特の画法を展開していく。

スタジオに残るウルトラマリンとオレンジのペンキは、ポロックの代表作「Blue Poles: Number 11, 1952」を描いた際のもの。

「私の絵は直接的だ。床で描くことを常としている。床にキャンバスを置いて描くと、絵により近く、絵の一部になった気分になれる。こうするとキャンバスの周りを歩き、四方から描くことができる。私は感情を描くのではなく、表現したいのだ」。[注2]

画家のスタジオ内。子供達がポロックの色鮮やかでダイナミックな作品について学んでいる様子。

当時、賛否両論あったこの「アクション・ペインティング」だが、間違いなくそれはアメリカ近代絵画の歴史を大きく揺るがすもので、のちの現代絵画への道筋を開いた一つの革命であった。納屋の床には、その痕跡が生々しく残っている。現在、来館者は特別なスリッパを着用し、カラフルでリズミカルなポロックの筆致の上を直接歩くことができるそうだ。

1956年、ポロックは自動車事故を起こし、44歳という若さで悲劇的な最期を迎える。翌年からクラズナーがポロックのスタジオを使用するようになり、亡くなる1984年までここで制作を続けた。今では、壁にクラズナーの抽象画の痕跡が、そして床にはポロックのほとばしるエネルギーの余韻が残っている。これらを前に、誰もが彼らの芸術家としての生き様に思いを馳せるだろう。

家の裏側。氷河の漂礫を積み上げたポロックの屋外彫刻がある。

内省的な具象画を描いたホッパーと、激しい抽象画を世に送り出したポロック。すべてが対照的な二人だが、それぞれが暮らした家は、ともに画家としての原点と色褪せることのない創造の痕跡を伝える特別な空間なのである。

[注1]ポロック・クラズナーハウスとスタディ・センターツアーより
[注2]「ジャクソン・ポロック51」(1951年)監督:ハンス・ネイマス/ポール・ファルケンバーグより

ホッパーの家

ポロックの家

写真/All sources and images of the Edward Hopper House courtesy of the Edward Hopper House Museum and Study Center
All sources and images of the Pollock-Krasner House and Barn Studio courtesy of the Pollock-Krasner House and Study Center

取材・文責/text by: 河野晴子/Haruko Kohno

  • この記事を書いた人

河野 晴子(こうの・はるこ)

キュレーターを経て、現在は美術を専門とする翻訳家、ライター。国内外の美術書や展覧会カタログの翻訳と編集に携わる。2019年より「世界のワクワク住宅」の執筆を担当。このコラムでは、久保田編集長とともに、宝探しのように世界中の驚くようなデザインやアイディアに満ちた建築を探り、読者のみなさまに紹介したいと思っている。

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