《 世界のワクワク住宅 》Vol.058

装飾に覆われた孤高の芸術家の家<ユンカーハウス>〜レムゴ(ドイツ)

投稿日:2026年1月8日 更新日:

ドイツ西部の小都市レムゴの住宅地。小高い丘の上に、その不思議な家は立つ。正方形の建物の全面に規則的に並ぶたくさんの窓。厳格で理性的な造りでありながら、ところどころ着彩されたファサードは、おとぎ話に登場する家を想起させる。

Photo courtesy of Museum Junkerhaus Lemgo

「ユンカーハウス」と名づけられたこの家は、建築家であり、大工であり、画家でもあった孤高の芸術家、カール・ユンカー(1850-1912年)が20年以上の歳月をかけて具現化した彼自身の壮大なヴィジョンであった。

Photo by Ulrich Helweg

この2階建ての伝統的な木組み建築の最大の特徴は、外装と内装のありとあらゆる箇所にびっしりと彫刻が施されていること。

Photo by Ulrich Helweg

外壁を覆い尽くす装飾的なレリーフのほか、扉、階段、天井には骨や小枝を思わせる木片が有機的に張り巡らされ、自作の家具もゴツゴツと隆起するようなデザイン。

Photo courtesy of Museum Junkerhaus Lemgo

いくつかの部屋には、聖書や古代神話をテーマにした明るい壁画や天井画も描かれている。その様子は一言で言うと、過剰。
一体なぜ、彼はこうした創作に駆り立てられたのだろう。

Photo courtesy of Museum Junkerhaus Lemgo

1850年にレムゴで生まれ育ったユンカーは、幼くして両親を亡くしたのち、祖父のもとで育てられた。実践的な木工職人の徒弟修行を終えたのち、彼はミュンヘンの芸術アカデミーに入学し、ヨーロッパの美術様式を学ぶためにイタリア各地を巡った。こうした豊かな美術の素地を得て、1881年にレムゴに帰郷した。

Photo by Ulrich Helweg

それから8年後の1889年、ユンカーは町外れの土地に自邸の設計と構想を始める。自身で設計図を描き、実際の建築はレムゴの大工棟梁カール・シルネカーとその職人たちによって、約2年の歳月をかけて行われた。

Photo courtesy of Museum Junkerhaus Lemgo

ユンカーハウスは、一辺9.46メートルの正方形の平面を持ち、四つのファサードは軸対称に配置されている。特に目を引くのは、建物に多く設けられた窓である。装飾は漆喰装飾のようにファサード全体を覆い、厳密な左右対称の構成で外観にリズムを与えている。

2階のサロン。壁面から天井、家具までもが彫刻に覆われている。 Photo courtesy of Museum Junkerhaus Lemgo

中に入ると、壁面はところどころ赤、緑、黄、青で着彩されている。よく見ると、着彩部分はキラキラと輝いているが、これは塗料にブロンズやアルミなどの金属粉が用いられていたからだそう。

部屋の南側の窓際には自作のゆりかごがある。 Photo by Ulrich Helweg

1階にはアトリエや厨房があり、2階には居間やサロン、夫婦の寝室、子ども部屋などがある。

実はユンカーは生涯、家庭を持つことはなく、最初から最後までこの家の3階に一人で住んでいた。こうした「家族」のための部屋は一度も使われることがなかったのだ。子ども部屋の窓際には自作のゆりかごまで用意したのに、である。

Photo courtesy of Museum Junkerhaus Lemgo

つまりこれは、人並みの幸せが絵空事に終わり、精神的に追い詰められた末の孤独で過剰な芸術的発露だったのだろうか。実際、このように奇怪な装飾を取り入れたユンカーの家は、歴史主義的な市民住宅が並ぶ町並みで一際異彩を放っていた。ひたすら家で創作に励むユンカー自身もまた、町の人々から「狂人」や「変人」と噂されていたそうだ。

Photo by Ulrich Helweg

ユンカーの独特な創造的ヴィジョンは、彼の死後、統合失調症の表れであったとされ、彼を語る上で、幼い頃に両親と兄を相次いで失った悲劇も強調されることが多かった。しかしその一方で、隅々に至る卓越した創造性を目の当たりにすると、ユンカーは自身の尽きることのない芸術的衝動と美学をただひたすら最後まで貫きたかったのだとも思える。

Photo courtesy of Museum Junkerhaus Lemgo

生前、絵画や彫刻などさまざまな芸術作品を制作したユンカーだったが、それらはほとんど注目されなかった。そんな彼にとって、唯一関心を集めたこの家もまた、一つの芸術作品であったのかもしれない。実際、ユンカーは生前、来訪者から入場料を取り、自ら自邸を案内し、見学させていたという。

Photo courtesy of Museum Junkerhaus Lemgo

ユンカーは1912年、肺炎の合併症により亡くなった。死から1年後には、ベルリンで50点を超える油彩、水彩、デザイン画、木彫レリーフが展示される機会があったものの、あまり人々の関心を引かなかったという。ユンカーの死後、空き家になった家も買い手がつかなかった。その後ユンカーハウスは親族の所有となり、一般公開もされるようになった。そして1962年以降、修復を請け負ったレムゴ市の所有となっている。

Photo by Ulrich Helweg

ようやくユンカーが国際的に評価されるようになったのは、20世紀末になってからのこと。アメリカやイギリスの美術史家の研究により、アウトサイダーアートという文脈の中で語られるようになったのがきっかけである。

Photo by Ulrich Helweg

しかし、ユンカーの芸術様式に対する過去と現在の学術的見解は常に揺れ動き、未だ正統と言える美術的評価は下されていないようだ。現在、一般的な見方では、彼の家、家具、油彩画は初期表現主義やアール・ヌーヴォー運動に連なり、歴史主義への回帰を内包しながらも、伝統的な美術理論からは逸脱するユンカー独特の強迫的な衝動によって特徴づけられている。

Photo courtesy of Museum Junkerhaus Lemgo

2004年になると、家の裏手と連結する形でミュージアムが開設された。表通りからはまったく見えないように配置されたミュージアムでは、ユンカーの創作家具や絵画、レリーフのほか、実現することのなかった幻想建築のモデルなどが展示されている。

Photo courtesy of Museum Junkerhaus Lemgo

Photo courtesy of Museum Junkerhaus Lemgo

大胆でプリミティブなデザインの一方で、繊細な透かし模様を施した木彫や家具、さらには幻想的とも言える絵画の数々。評価が定まらなかったことが皮肉も幸いして、後世散り散りとならなかったユンカーの作品世界を、この美術館で余すところなく堪能できるのだ。生涯をかけて一つの壮大なゲザムトクンストヴェルク(総合芸術作品)を作り上げた孤高の芸術家であった彼にとっては、ある意味、理想的な終着点だと言えるのではないだろうか。

Photo by Ulrich Helweg

ユンカーは、ある友人にこう話していたという。「私は新しい様式を発明するだろう。すぐには理解されないかもしれないが、50年後か、あるいは100年後には、きっと評価してもらえる日が来るはずだ」。

今なお小宇宙のように息づくユンカーの家は、見る者にたくさんの刺激を与え続けている。

写真/All sources and images courtesy of Museum Junkerhaus Lemgo
URL/https://museen-lemgo.de/junkerhaus/

取材・文責/text by: 河野晴子/Haruko Kohno

  • この記事を書いた人

河野 晴子(こうの・はるこ)

キュレーターを経て、現在は美術を専門とする翻訳家、ライター。国内外の美術書や展覧会カタログの翻訳と編集に携わる。2019年より「世界のワクワク住宅」の執筆を担当。このコラムでは、久保田編集長とともに、宝探しのように世界中の驚くようなデザインやアイディアに満ちた建築を探り、読者のみなさまに紹介したいと思っている。

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