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《 世界のワクワク住宅 》Vol.036

100年前の新聞紙でつくられた<ペーパー・ハウス>〜ロックポート(アメリカ)〜

投稿日:2020年11月12日 更新日:

童話『三びきのこぶた』では、怠け者と面倒くさがり屋の2匹の仔豚がそれぞれ藁と木で家を建てるが、狼に吹き飛ばされたあげく仔豚たちは食べられてしまう。3匹目の勤勉な仔豚が作ったレンガの家は狼の襲来にびくともせず、仔豚は難を逃れる。なにごとも手早く仕上げるよりもコツコツと時間をかける方がいいという大切な心構えを教えてくれる話だ。

アメリカ東部マサチューセッツ州のロックポートに紙でできた家があると聞き、この童話を思い出した。紙というからには、やっぱり狼に吹き飛ばされてしまうような粗雑な家なのだろうか?

調べてみると、この家を建てたのは怠け者でも面倒くさがり屋でもなく、実にまめまめしく「住める紙の家」の実現に励んだ一人の男性。しかも家が建てられたのはおよそ100年前の1922年というから、文字通り風雪に耐えてきた歴史ある家なのである。

男性の名はエリス・F・ステンマン。スウェーデンからの移民で、ペーパークリップの製造機を設計した機械エンジニアであった。エリスは妻とともに夏を過ごすための家を海岸沿いの美しいロックポートの町に建てることにした。床や屋根、骨組みは普通の木造だが、なぜかエリスは壁や天井の素材に新聞紙を用いることを思いつく。

この頃のアメリカといえば、「狂騒の20年代」。第一次世界大戦後の再建から世界恐慌に至るまで、アメリカ経済は大きく揺れ動いた。と同時に製造業が成長し、芸術文化が花開き、生活様式が大きく変化した時代。こうした時代背景の中でなぜエリスが黙々と紙で家をつくっていったのか、誰もがその理由に想像を巡らせるだろう。

おもしろいことに、以前ご紹介した「ビアカン・ハウス」の主人もこの頃に青年時代を過ごし、のちに大量のビールの空き缶で持ち家を覆い尽くしている。安価な素材に目を向けざるを得なかったのか、あるいは独自の表現方法を極めたいというこの時代ならではの衝動があったのか、二人の姿はどこか重なり合うのである。

20年ほど前、当時この家の管理を任されていたエリスの姪孫、エドナ・ボードインさんはインタビューでこのように語っている。「なぜ紙だったのか、明確な理由はわからないんです。新聞紙は安価でしたからね、大叔父は倹約家だったのかもしれません」。

断熱や防音のためということも考えられるが、エンジニアであったエリスは気になるものがあれば、とことん探究に励む性分だったそう。
「大叔父はアマチュアの発明家のような人でした。常に好奇心旺盛で、いっときはスチームアイロンを作ろうとしていたこともあるんです。特許は取らなかったようですが、いつもそういう小さな実験のようなことをしていました」。

エリスはひらすら新聞紙と糊を圧縮しながら幾重にも重ね合わせ、ニスでコーティングした。215枚の新聞紙を重ねて、約3センチ弱の厚みの壁材を手づくりしたそうだ。適度な粘り気を求め接着剤には小麦粉と水のほか、りんごの果皮なども加えたという。年月を経て紙の壁は独特な艶を帯び、ご覧のような美しい飴色に変化している。家の保存のために今でも外壁は頻繁にニスが塗り重ねられている。

驚くことに、壁のみならずこの家のほとんどの家具や調度品も新聞紙で作られている。テーブルと椅子、ランプ、長椅子、本棚、時計が、細く硬く丸められた新聞紙の筒でできているのだ。

こちらのピアノは既製品だが、やはり紙の筒で隙間なく覆われていて、もはやエリスの造作物と呼ぶ方がふさわしい。レンガ造りの暖炉も紙で覆われ実際に使用されていたというから、エリスが紙の装飾性だけでなく、その耐久性や汎用性をも徹底的に突き詰めていった様子が伺える。

当然、エリスが使用したのは1920年代当時の新聞。目を凝らせばその時代を伝える文字情報が読み取れる。たとえば居間にある大きな振り子時計には全米各州の新聞が使われていて、州名や都市名がずらりと連なっている。50州ではなく48州しか確認できないのは、この時代にはまだアラスカとハワイが州として認められていなかったからだ。

時計の奥のライティングデスクに目を転じれば、「リンドバーグ、パリへ向けて飛び立つ」という見出しが確認できる。こちらは1927年にチャールズ・リンドバーグが大西洋単独無着陸飛行に初めて成功した時の様子を伝える実際の紙面だ。

続いて、ラジオ・キャビネットには第31代大統領となったハーバート・フーヴァーの選挙戦を伝える記事が、そして本棚には当時の外字新聞が使われている。このようにエリスの家は一時代の貴重なアーカイブとして存在し続けているのだ。
ちなみにエリスは新聞三紙を定期購読していたそうだが、この家のことを聞きつけた近所の人たちや友人は彼の創作のために新聞紙を持ち寄ることもあったという。

1930年代に入ると、ペーパー・ハウスにはポーチが増築された。このポーチの屋根板が十分に突き出しているために家の外壁が雨ざらしになることはほとんどない。当初から家では電気が使われ、水道も通っていたそう。浴室を含む水回りは離れに造られ、こちらには紙は用いられなかった。

家は1924年に完成し、エリスは1929年まで妻とともにこのペーパー・ハウスで毎夏を過ごした。1942年の彼の死後、一般客の見学が受け入れられるようになる。当時10セントだった入場料はエドナさんの管理時代には1ドル50セントに、そして現在は2ドルになっている。それを聞くだけでも時代の流れを感じるが(エドナさんはこの値上げについて茶目っ気たっぷりに「インフレですよ」と説明している)、この家が長きにわたり多くの人々を魅了し続けていることは確かだろう。

かつてエドナさんはこう語っていた。
「この家を保存する責任は感じていますが、心配はしていません。だって1924年からある家ですもの。嵐がきて家が壊れたら、その時はその時です。この家が今ここにあるのは確かだし、この先どうなるかなんて心配してもきりがありません。私はこの家の管理をする、ただそれだけのことです」。

ロックポートの通り道を外れた場所に今なおひっそりと立つペーパーハウスは、なかなか見つけづらいそうだ。控えめな案内板の先に不思議な紙の家があると想像すると、実に興味深い。情報が光の速さで生まれては消えるこの時代にあって、100年前の歴史を静かに抱く紙の家は私たちに多くのことを伝えてくれるに違いない。

写真/All sources and images courtesy of the Paper House

取材・文責/text by: 河野晴子/Haruko Kohno

  • この記事を書いた人

河野 晴子(こうの・はるこ)

キュレーターを経て、現在は美術を専門とする翻訳家、ライター。国内外の美術書、展覧会カタログの翻訳と編集に携わる。主な訳書・訳文に『ジャン=ミシェル・バスキア ザ・ノートブックス』(フジテレビジョン/ブルーシープ、2019年)、『バスキアイズムズ』(美術出版社、2019年)、エイドリアン・ジョージ『ザ・キュレーターズ・ハンドブック』(フィルムアート社、2015年)、”From Postwar to Postmodern Art in Japan 1945-1989”(The Museum of Modern Art, New York、2012年)など。近年は、展覧会の音声ガイドの執筆も手がけている。

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